もぬけるから

旧い私の記録

夢語り

木曜日、久しぶりに起床する夢を見た。

現実で目覚めてると思ってるやつ。

それも起きた時には既に集合時間を過ぎてパニクってるやつ。

私の夢は基本的に友人が出てくるのが多いから、私一人自室で焦ってる夢っていうのは珍しい。最近は悪夢をなかなか見ないので尚更。起きて感心しちゃった。

まあそんなことしてるから本当に遅刻してるんですが。

目覚めたら確かにぎりっぎりの時間で、デジャヴな現実やってきました。電車遅延してて1つ前の急行乗れたのは救いだったけど。

 

朝9時に集まって、10月の公演のフライヤー写真撮影。それから今日は1日アトリエの大掃除をして、お昼は同期と今年初のカキ氷。夕方は新人たちの宣伝用の写真を撮って、友人の1人とバーに入って話した。めっちゃ活動した1日だったな。

 

人の縁とか運命とか、元から少し信じるたちだったんだけど、今日もまた感じてしまった。バーの2人は、同じような出来事を抱えていたから。このタイミングで、こういう話を相手から聞くの、あまりにも偶然にしてはできすぎてる。引き寄せられたの?って思う。

まるで誰か私の日々の作者がいるみたい。

あの出来事の先には、このバーで話すってことが決まってたのかなあ。

 

主体でいようとするのが辛いのかなんなのか、時々物語として出来事を結びつけてしまう。俯瞰して、ちょっと長いスパンで振り返ってみる。あそこで伏線が張られてて、ここで回収されて、みたいな。

自分の体験を人に話すと物語ることになっちゃう。なんだか、相手にわかりやすく、客観的に説明しようと口に出した時からぱつんと自分のものじゃなくなっちゃうみたい。思い出が、口から溶け出してゆく。チューブから出したばかりの記憶の絵の具に、水を足していくよう。

ぼんやりと話しただけでも、手放してしまったようで、さみしい。日記に書くときは、感情が整理されるけど、別に私の思い出で変わらないのにな。

 

 

毎日、覚えてる覚えてないに関わらず、夢を見る。だから、支離滅裂でも、頭の中ではストーリーを書いてる。

夢の中、私は私の姿でいることがほとんど。たまには違う人物になりたいんだけども。自分の姿がわかるのは、カメラが切り替わってるから。毎朝私が主役のドラマを見てる。自分の目線と自分を見ている目線がある。

夢のなかの視点は一体誰なんだろう。

誰がカメラを回してるんだろう。

夢は、私が私に話してる物語なのかな。

どこかの世界のもう1人の自分の物語だったりしたら楽しいな。夢を通して私に話すなら、濃度が薄くならないからいいな。

もう1人の私は遅刻、怒られてなきゃいいけど。