もぬけるから

旧い私の記録

魅せるもの

先日、初めてこのサイトを人に教えた。

私以外の人のアクセスがあった。恥ずかしい。恥ずかしがるくらいなら教えなきゃいいのに、教えてしまった。この文を見られている(かもしれない)のも恥ずかしいです、とても。

目立つ、人に見られる、そして評価される、とかをきっとどこかで恐れている自分がいる。がっかりされるくらいなら、知られないでいた方がいいと思ってしまう。

……人前に立つようなことをやっているくせにね。

 

6月の終わりに、舞台に出る。

役者は9月中旬の新人公演以来で、半年以上ブランクがある。稽古初日の金曜にやった読み合わせなんて、オーディションの意味もあるから、こわごわしてた。手が震えた。心拍数が上がった。噛んだ。こんなに緊張したこと久しくなかったよ。

そして2日後の日曜日の朝、配役が決まった。役者全員が希望を出して、ありがたいことに私は希望通りになった。それで、日曜日は昼から稽古。人に演技を見られるのも、ヘマするのも、何もかも久しぶりで恥ずかしい。怖い。

演出家さんに、間を取らずに、台詞は読点をあんまり入れないで、と言われた。あと、誰に台詞を言っているのか意識して、とも教えてもらった。ありがとうございます。申し訳ない。

 

日曜日の稽古の後、ここの文章を人に伝えた。その前に、文章を少し修正した。全部読み返して、なんて読みづらい文章を書くんだろうと思ったから。私ではない誰かが見るのに、あんまり意識できてないようにも感じた。あと、文章に読点が多い。無駄な改行が多い。音声に出せば、きっと間を取るなって言われてしまう。

文章を書くのと役を演じるのってどちらも表現だから、特徴も似るのかもしれない。共通点に気づくのも恥ずかしい。演出家さんはこの文章のことなど何にも知らないのに、見透かされているみたいだ。

 

去年のいつだったか、劇団の新人指導の先輩が自分の出る公演はどんどん宣伝した方がいい、と言っていた。役者は人に見られた方が上手くなるよ、それも知ってる人の方がいいよ、と。そうは言っても友達に見られるのはより緊張すると思っていたし、今も変わらず恥ずかしい。緊張すると間違えそうだから、できれば知らない人だけの方が気楽とも思う。

だから正直その言葉はあんま信じてなかった。知ってる人が観客席にいたところで、舞台上の役者はそうそう変われないんじゃないか、って。

けれど、少なくとも、誰かに見てもらえる(かもと意識する)ことと、一人で秘めておくことは違うんだって、ようやくわかってきたよ。関わってくれる人がいなかったら、私は多くのことに気づかずにいたんだろうな。たぶん公開した記事をもういっかい推敲とかしてないと思う。読んでくれる人がいるから、しかも私の知っている人が読んでくれるから、推敲しようと思うよ。

 

読んでくれる人、観てくれる人、みんなが喜んでくれればいいのだけど。

みてほしい。みせたいな。