もぬけるから

旧い私の記録

このサイトをやることについてつらつらと書いてきたつもりです。理由付けがないと上手く動けないもんで。すんません。

 

公になるような文章を書くのは自意識が邪魔して難しい。だからこのサイトも少し考えて、やりたい方法を調べてから始めた。

そんな私にも比較的楽しく書けるタイプが2つだけある。

日記と手紙だ。

 

日記は、本当は一般的な日々の記録目的で始めたわけじゃないけど、なんだかんだノートが4冊目にはいった。毎日書いてないけど、一応始めてから1年がすぎた。

書いていて一番楽しさを直感するのが日記。誰にも見せるつもりがないから、素直に日記には告白する。鉛筆の文字を見て、かつての私の状態を思い出すのも面白いし、紙に書くことで、脳内の交通整理が捗る。

様々な時にお世話になりました、日記様。

 

手紙は、すごく時間がかかる。大切なお手紙は、下書きをして、便箋に書いて、バランスとか、誤字とかでやり直す。失敗したら何度も便箋を捨てる。

口頭なら1人でずっと喋ってるわけだから、受け取って困惑した方もいるかもしれない。ものすごく文章が固くて、読みづらい方もいたかもしれない。受け取り手が喜ぶ姿を想像しながら書いてるけど、きっと私の拙い言葉たちではそうはうまくいってないだろうな。

でも、どうしても伝えたくなるから、書いちゃうんだよね、おてがみ。

 

中学生の頃、2日間の脚本講座というのに一回参加したことがあった。その後もしばらく仲良くしてくれた劇団の団長さんのWSだったのだけど、その人は脚本を書く時に、手書きで書くのだという。「パソコンで書くと、文字がしっかりしているから、完成されているようで、修正ができない」なんてことを言っていた。

今まで、パソコンで文字を打つことは何度もあった。ある時期から物語を紡ぐ媒体はWordだったし、連絡手段なんて大体スマホやパソコンだ。だけど、日記のようなものを電子機器でやったことはなかった。まあ、ツイッターを日記のようなものと捉えるなら違うけど、考えをうねうね述べる媒体としてのパソコンは初めてだ。

パソコンの文字に今私が考えたことが変換されるとびっくりする。私が今考えたことなんて、そんなフォントで、そんな整然と並べられるもんじゃない。

と、思いながら、打っている。

団長さんの言葉は当時、なんとなくわかったつもりでいたけど、今になって痛切にわかったかもなあ。日記と手紙はシャーペンとボールペンの違いはあるけど、どちらも手書き。それを思い出すと、違和感、確かにあるね。あ、でも修正はばりばりしまーす。いつまでも完成しなさそう。

 

このサイトに載っける文章は少し時間をかけて向き合って、推敲したり、タイトルをつけたり、自分の気持ちや考えに、丁寧に接してあげたい。

そうそう、最近思うのですが、接するとか、伝えるとかって言葉たち、よくないですか。話すとか、遊ぶとか、喋るとか、手紙書くとか、メール打つとか、そういうの明示しないで、なんとなくぼんやりとしたままの感じ。心地いい。よく使っちゃいます。

 

日記と手紙の中間で、あなたとわたしはわたしたちになって、接して、溶けて、混ざって、伝え合ってゆきたいな。