もぬけるから

旧い私の記録

不明星

演劇サークルの合宿で那須に行った。

体育館にも、牧場にも行ったけど、一番素晴らしかったのは夜空だった。

あの空には雲ひとつなく、無数の星が散らばっていた。

 

いい感じにみんなが酔っている宴会の中盤。

何人かと星を見に外に出たのだけど、急に一人になりたくなった。それで、みんなが宿舎に戻るタイミングで、私はそっと残ることにした。

 

時々、こういう時がある。飲み会の途中に少しの間抜け出して、一人になりたい時が。

いつのときか覚えてないけど、実際一回だけ朝までの打ち上げの中盤にも居酒屋から外に出たことがある。

深夜の路地裏にて、少し泣いた記憶。

悲しかったのかは覚えてないし、おそらく悲しいというわけではなかったはず。ただ、なにか自分の中で一人でないと落ち着けない気持ちが芽生えて、悪いと思いつつも、そっと個室のドアを開け、居酒屋の階段を下っていた。

外で冷たい空気を浴び、駐車場でがやがやしている二階の会場を見つめていた。自分の心をつぶやくことでなだめながら。

かなり長い間出ていたような気がして、中の人たちが心配になった。けれど会場に戻っても、誰も抜け出したことに気づいていなかった。私の心に変化はあったけど、何事もなかったように、スムーズに宴会の時間が進んでいったのだった。

 

今回もきっとそう。きっとどれだけ長く一人になったって、気づかぬ(ふりをした?)まま私を相変わらず受け入れてくれるだろう。そう安心して信じれるほど、私はまわりにいる人たちが好きで、一緒にいればぬくい海に包まれているような気持ちになる。

 

 

星の下の私は、できるだけ人のいるところから離れたかった。宿舎の玄関からまっすぐ進むと、明るく街灯の光る道路と森に出た。このまま走っていって、失踪してもきっと朝になるまで気づかれない。逃げ切れる。そのくらいの人気のなさだった。

明かりがあると、星が霞んでしまうので、宿舎からも、街灯からもちょうどよく距離を取った場所に立つ。

星が、あまりに綺麗だ。一眼レフカメラを構える。だけど、暗すぎて手元もわからないし、正しいボタンを押してもシャッターが切れない。暗さのせいなのか。

まあいい、この星空は、この時間だけのものということだ。しっかり見ておくために、記録できないようになっている。と、納得。

 

その場に寝転がって、満天の星と対面する。借りた浴衣で地面に寝るのはためらわれたけど、見上げるのではなく、空と平行になりたかった。

 

コンクリートから背中に冷たさが直に浸透する。手や顔は深夜の冷気に撫でられて、だんだんと体の端から熱がほどけてゆく。

体温が空気と近くなるにつれて、灰色の地面を超えた、その奥にある地球と一体になっている気がした。地球のかさぶたみたいに乗っかっている肉体。自分の温度がしおれて、生命が閉じていく。老衰で亡くなる時ってこんな感じなのかな。目をつむってしまえば、きっと精神の抜けた物体になってしまう。

 

地球に、星空が、向かい合う。

 視界を埋め尽くす、星、星、星。空の端っこはちょっと曲面で、地球が丸いことを伝えている。

いくつかの星は見覚えのある星座の形に見える。でも一つとして星座の名が出てこない。もやっとする。スマホで目の前の星座を当てるアプリはあるらしいし、検索すればいいのだろう。

諸々の手間を予想したところで、気づいた。星の名前を今調べるのはもったいない。街灯よりスマホは嫌な光だ。スマホのリアルが幻想的な風景に穴を開けてしまう。

だから、名前はどうでもよくなった。星の名前が分かれば、この喜びはもっと増すかな、美しさは変わるかしら。いいや、きっと同じ、むしろ失うものもあるはず。

 

この星の並びは、人間が名付ける前からずっとこの並びで、勝手に区切っているだけ。

今、私に星の名前はいらない。名前を知らぬまま、この美しさを堪能する。名前がわからないことでもやっとした気持ちは散っていった。名前を知らなくても、私はこの星空にただ圧倒されるのだ。

 

星座は星同士をつなぐ関係で、それに名前をつけている。そう思ったら、最近の私のぐるぐるした思考を思い出してしまった。

最近の私は暇さえあれば、人に対する感情に名前をつけようと躍起になっていた。なかなか名前は難しい。名付けてもすぐ名前にふさわしくなくなるような気持ちになる。(感情に名前をつけるなんて中学演劇部で初めてやった「Is〜アイズ〜」というお芝居の場面みたいだ)

 

でも今わかった。きっと名前はいらない。たぶん感情も星のようなものだから。名前がわからなくても、その感情は存在している。感情の言葉から心が生まれることはあるけれど、無理やり当てはめる事もない。うん、名前は必ずいるものではなさそう。

 

名前といえば、ロミオとジュリエットの有名な台詞、

「名前が何だというの?バラとよばれるあの花は、ほかの名前でよぼうとも甘い香りは変わらない」

というのを思い出す。この台詞を初めて知ったのは大学一年の頃だったか。結構驚いたんだよな。ここから名前について少し考えるようになったんだっけ。

 

わからないのなら今はぼんやりとしたままでいるのがいいのだろう。あせって名付けることも、決めかねて悩むことも必要ない。バラに名前をつけなくても、自分の心に存在しているだけなら呼ばないのだし。近ごろ、関係性に名前をつけることが多かったから、名前のわからない感情まで細かく名付けようとしてしまっていたんだ。ふわふわした定まらない気持ちはゆれてゆれて、空中ブランコみたいに私を左右する。ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん。まあでも楽しいし、振り回されてもいいか。

 

近づきたいか、遠のきたいか、このままでいたいか、それだけ。自分は、話したい人さえ、仲良くなりたい人さえ、わかっていればいい。私の気持ちを誰かに伝えたくなる時には、自ずと名前がついているのだろう。

 

 

遠くにある星を眺めながら一番近い自分のことを考えていたら、いよいよ体が固まっていくのを感じた。寒さは芯まで到達したようだ。このままなら心臓も凍ってしまう。

 

暗くて、車がもし来たら、迷わずひき殺されるような場所に寝ている。こんなところにいるとは知られてないだろうな。

遠くに友達の声がする。微かに誰かのスマホから音符がこぼれてくる。

もし気づかれ、誰かに呼ばれてこの時間を止めるのはあまりに惜しい。自分で戻らねば。あー、でももう少しだけ星を見ていたい、寒いけど。凍え死ぬのが先か、満足するのが先か。

逡巡ののち、立ち上がり、自動販売機でほっとレモンを買って会場に戻った。

 

宴会場には仲良くなりたい人、話したい人で溢れている。ああ、本当にこの気持ちさえちゃんと分かっていればいい。

夜空での気づきを好きな人たちに囲まれて話す。自分のことを話すのは、恥ずかしいけれど、受け止めてもらうと、心が満たされていく。

 

 

友達でも、知り合いでも、仲間でも、先輩でも後輩でも同期でも、関係の名前はなんだっていい。名前がなくてもいい。とにかく、手に温度をもたらす缶より温かい、この人たちと一緒にいれるのなら。名付けられぬものはとりあえずそのままで。知りたかったら星の名前を調べたっていいのだ、朝にでもね。