もぬけるから

旧い私の記録

安否

今年の夏の深夜にまとめたものの、やっぱり私が言うことではないんじゃないかと、すぐ削除したつぶやきとその時に書いた文章を書き直そうと思う。

今更ふりかえるのは、関係性の名前について考えているのと、最近素敵な台詞を見つけたから。そして、自分のこれからにきっと関わってくるから。

 

疲れている人のつぶやきを見かけても、私が関わってよいのかわからず、心配するだけ、もしくは匿名でメッセージ送るだけになってしまう

しかし直接話してくれても、相手が望むこと(ただ話したい、助言ほしい、等)を把握できず、もっと疲れさせてないかと不安に思う

 

心配すると『dreaming-ホエル-』での私の台詞、「私はあなたの母親よ。どんなことでも力になるわ。」を思い出す
「大丈夫?」でも「元気になって」でもない。かなり相手にとっては話しやすいのではないかと思う
ただ、これに似た声のかけ方はなかなか難しい

 

「母親だから」ということが話しやすくさせているなら、相手との関係性が大切ということになる
いいへんじ『夏眠』での台詞、『わたしたちは「恋人」だから、いま、連絡しても大丈夫だよね?って、確かめてから、理由をつけてから、連絡をしたい』が心に響く

 

しかし『夏眠』では関係性に「恋人」などの名前がなくても個々人で辛さを共有する約束をすればいいとも書かれる
なので、「友達だから」相手が辛そうな時に話しかけても大丈夫、でもいいはず
けど私のなかでいまいち確信がもてないから踏みとどまってばかりいる

 

以上がつぶやこうとしたもので、ここから先はそんなことを長々と書いています。それでもよろしければ、読んでくださると嬉しいです。

 

ときどき、ツイッターの様子から、その人の疲れを感じることがある。疲れたときに疲れたと言えるのはすごいから、素敵だなあと思う。

 

そして同時に、心配になる。

ものすごく勝手に、元気になってほしいなあ、って思ったりしてしまう。ちょっとだけでも背中を支えたいと思ってしまうの。

 

だけど、そのつぶやきを届けたい相手がもしいるなら、うかつに反応できない。本当は直接特定の人に言いたいけど言えない感情なら、私が話しかけるのはお門違いすぎて踏みとどまってしまう。

特定の人を想ってつぶやいたのなら、他の人からの声はストレスになるかもしれない。それに、特定の人を想定していなくても、「あなたには言われたくない」「なんで声かけてきたの?」ということもあるかもしれない。

 

もちろん、誰でもいいからこの感情を吐き出したい、むしろ別に人に伝えてる感覚はなく独り言です、という人もいるとわかってはいるんだけどね。

 

色々な場合を想定すると、心底誰でもいいから言葉がほしい人はもちろん、あの人の言葉がほしいと思っている人であっても、できれば質問箱などの匿名メッセージアプリを使ってほしい……とさえ思う。

自分がその人のつらい感情にとってどの立場であるかどうかわからないから、匿名になりたくなる。

 

まあ、匿名で言葉を届けられるとしても、心配にかられる気持ちをどう伝えたらいいかわからないので、むつかしいんだけどね。結局、たいていはその人に想いを馳せて祈るばかりになる。

だって、元気になってほしいのは勝手な私の希望で、それを伝えるのは相手の負担になるはず。

だから、「心配だよ、大丈夫?」っていう言葉は相手が深刻そうであるほど言いがたい。

 

ある人が、大切な人を永遠に失って落ち込んでいる時があった。

その時、私は何を言えばいいか、本当にわからなかった。

事の深刻さがわかっているから、どんな言葉も軽く思えてしまう気がしていて。

なにか言葉をかけたかったのだけどね、

私は、心配したまま、そばにいることしかできなかった。

 

 

心配という感情がきっかけとなって、システマアンジェリカ「dreaming-ホエル-」という芝居の台詞を思い出すことがある。

役者としてその台詞を言っていたから、どうやら気持ちと台詞が紐づけられているらしい。意識的に心配になるのを繰り返していたからかな。

 

そのシーンで台詞を言う時は必ず、昔感じた気持ちを思い出していた。

大切な人の言葉から辛そうな気持ちを感じとって、なにか言いたいけど、なんて言えばいいんだろうって考えあぐねていた気持ち。

そういえば、六月頭に大丈夫について考えたくなったのも、その気持ちがきっかけだったな。

 

あの人にどんな言葉をかけよう、って思いながら台詞を言うようにすると、台詞の間や言い方がよくなったらしく、本番まで続けていた。

 

ナオミ アレン。あなた、何か私に話したいことがあるんじゃないの?

アレン ・・・・・・・・・。

ナオミ 話してごらんなさい。

アレン ・・・・・・。

ナオミ アレン、私はあなたの母親よ。どんなことでも力になるわ。

https://drive.google.com/file/d/0BygavSvxuCnrOE5sZnRPaTR3YUd3eXNVWFBGWjVLLVZzdERV/view?usp=drivesdk にて、公開されている脚本より)

 

私はあなたの母親だ。だから(というわけではないのかもしれないけど)どんなことでも力になる。なりたい、と、母親は息子に言う。

 

関係性に明確な名前があって、その名前を話を打ち明けてもらう根拠にする。

 

関係性の名前について考えると、いいへんじの「夏眠」というお芝居のシーンを思い出す。ナツミちゃんとスギタくんという幼馴染同士の二人が、付き合うにあたり、恋人の定義について考えているシーンだ。

ナツミ いま、辛いよー、苦しいよー、泣きたいよ死にたいよー、っていう、どうすることもできないことを、共有してもいい、共有しましょう、っていうのが、パートナーだと、恋人だと、先生は思うの

 

ナツミ 「恋人」は約束、共有してもいい、っていう約束なのよ

こう主張するナツミちゃんに対して、スギタくんはそれは「恋人」じゃなくてもいい、「恋人」という名前でなくてもいい、個々人での約束にすればいいのでは、と尋ねる。 

 スギタ 

約束なんだったら、約束でしかないんだったら、ナツミとスギタが、そのまま、個々人が、個々人の間で、ただ、約束をするだけでいいんじゃないかなって思うんですが、それとは、ちがうんですか?

 そう訊かれて、ナツミちゃんは、個々人の間の共有しようという約束では不確かだと言う。

ナツミ 

夜中にひとつ、連絡をするにしても、わたしたちは「恋人」だから、いま、連絡しても大丈夫だよね?って、確かめてから、理由をつけてから、連絡をしたい

 

母親と息子という血縁関係ほど明確ではない、幼馴染というナツミちゃんとスギタくんの関係性。だから、ナツミちゃんは告白をして「恋人」という約束を結んだ。‘‘わたしたちは「恋人」だから’’辛さを共有したい。

 

 

この二つの脚本だけでなく、関係性の名前を理由にする、というのは現実の色々な場面で出てくるのではないかな、と思う。

 

声をかけた時に、相手が「あなたには言われたくない」「なんで声かけてきたの?」と思うかどうか。心配ですよ、が負担にならない関係というのはむつかしい。

私が色々なことを恐れて心配な人に何も言えないでいるのは、心配をしていい関係性なのか不確かだからなのも大きいだろう。

 

友達だから心配した、というのではなんだか弱い気がして、もっと特別な名前がほしくなる。こういう時には名前を頼ってしまうんだよなあ。

友達という名前でも、不安なら、心配なら、声をかければいいのに。でもそれができない。

 

 

続く。