もぬけるから

旧い私の記録

我眠

寝過ぎた。公演の千穐楽後のオール打ち上げのせいなのか、意識が強制終了する。それも大切な授業に限って。昨日もしっかり寝ているのに、今日の昼休みと空きコマの三限はずーっと寝ていた。つまり、お昼寝140分間。過眠だ。

 

この前、いいへんじの「夏眠」と「過眠」というお芝居を観た。「夏眠」はバージョン違いがあったとはいえ、6ステージ中3回観にいった。

すっごく簡単に言えば、ナツミちゃんという女の子が、幼馴染のスギタくんを守る、みたいな話だ。

 

私は、スギタくんが死にたみの極みにいたら、大丈夫?って聞くことはエゴではないかと思うの。もちろん、(涙をためて)死なないでって言うのもエゴに近いと思うし。いや、エゴなんて使ってみたけど、よくわかってないですすみません。

スギタくんの気持ちを大事にして、私の気持ちを抑え目にして、より婉曲的な「死なないで」を伝えても、そもそもそう伝えること自体、スギタくんの気持ちを大事にできてないのかもしれない。

何か力になるよ、って言っても、その心の奥にはきっとスギタくんに好かれたいだとか、嫌われたくないだとか、役にたちたいだとか、自分の心配、不安が渦巻いてて、結局主語は私なのだ。本当にあなたのために考えているのって少ないのではないか、と思う。

 

それから、相手に対して深刻に申し訳ないと思っている時に、私がごめんなさいって言うことも、本当は自分のためなのかもしれないと思ってしまうの。

ごめんなさいって言えば、許されるかもしれないけれど、でも

ごめんなさいで私は許されないと思っている。

ごめんなさいって言うことは、相手から許してもらう準備をしている気もする。私の申し訳なさを解消するための、ごめんなさいなのでは?と、私は私を追及する。

 

昔、大切な人を意図せず傷つけた時に、初めてそんな追及をした。言葉は時に暴力になるって知っていたのに、私は当時、第三者に教えてもらうまで、その人の傷にも気づかなかった。

そのときはなんだかわからないけど、私は人を傷つけたという罪で自分を処刑しようとしていた。言葉での解決は私のエゴが含まれてしまうし、私の深層心理は全て信用ならない。それならまだ態度で表したい、みたいな。いや、態度というより償いか。

私はできるなら私に死刑を宣告したかった。次の日相手が学校に行って、私の机の上に花瓶が置いてある。相手は私が死をもって償おうとしていたことを知って、許す。……今考えれば全く酷い話だ。死んでしまえば、謝ることはもうできないのに。
だって、当時は死ねば何もかも終わると思っていて、人生も物語も。あー、死ネタはよくないね、しかも若くして死ぬなんて安直だよね、スギタくん。

 

あなたのため、を考え続けていても、結局回り回って私のためになっている気がする。どうすればいいんだろうと思って解決策が見つからないまま、黙っている。考えいるのだけど、考えていることは目に見えないから、相手にとってはだんまりでしかない。

 

黙っていることは、なんにも気持ちがないことと同じにはならないだろうか。

気持ちを形にしなければ、相手に伝わらない。

私のもやもやとした気持ちは、胸の中に浮かんだまま、体の端っこから放たれはしない。

私がずっと黙っていることで、あなたになにも思ってないことにならないだろうか。だけれど、なにをいうべきか、あなたのことを考え続けるほどわからなくなる。相手に届ける全ての言葉は私のエゴが元で、心底相手のためを思ってなんて言葉を言えないのではないか。

怖い。本当に相手が心配な時、どうしたらいいんだろう。なにを言っても相手を悲しませたりしないか。なにが相手の一番欲しい答えかなんてわからない。

ナツミちゃんと考えてること似てるかも。

『「大丈夫って言ったから、大丈夫かあ、おっけー」で、「ほんとは大丈夫じゃなかった」ってのがこわいから、「ほんとに大丈夫?」って思っていたいの、わたしは』

そもそも大丈夫?って聞くのも、大丈夫って答える圧力をかけてないか怖くなるし、相手は気を遣って、きっと大丈夫って答えないと私の心配はやまないだろうと思って大丈夫って答えるかもしれないし、そもそも、心配されるのやだな、そんなに辛そうな感じが出てたかなって思っちゃうかもしれないし。

ほら、相手は全然大丈夫じゃなさそう。あーあ。

 

結局、その傷つけた人には、許されなかったら死ぬしかないかもしれない、どうしよう、むしろ死んで詫びたい、みたいな気持ちで電話をさせていただいた。私は言葉で謝って、相手は言葉で怒っていた。

そして、言葉で表すことの問題をちゃんと解決しないうちに、許されてしまった。意外と相手は謝りの言葉を述べることについて私ほどの思い詰めはなかった。いや当たり前か、自分が相手の立場ならそりゃ謝られた時に別にそんな考えないよね。やっぱり言葉で謝るのをためらっていたのは相手のためじゃなさそう。ってか、あなたのためって本当はなんなんだろう?相手のことなんてわからないのに。きっと私の中のあなたでしかないんでしょうね。

 

死んで償わなくても、言葉で相手に届くものもある。むしろ、ずっと考えて黙っている方が、相手にとってはよくないのかもしれない。

あーだからこそ

「何考えてんだか知らないけどさ   なんか なんかあるなら言ってよ   話してよ   わかんないからさ」

って、夏眠の最後に出てくるのかな。わかんないが口癖のスギタくんじゃなくても、わかんないよね、黙ってたら。言って、話して、考えを形にしないとね。

 じゃあなおさら、形にするのをもっとうまくしたいなあ。

 

ここで文章を書くようの名前をつけてから、形という言葉に目がいくようになってしまった。別段いっぱい使われている言葉ではないだろうけど、名前というのは不思議だね、気にしてしまう。

形にする、っていうつながりでよく使われてる。

涙は 他人に見られて 初めてカタチになるの 

とかね。あと、

過去は生きてく都合で 形を変えてしまうもの

っていう使い方もあるか。

形にならないと人はうまくわからないから、表そうと伝えようとするけど、うまくいかないな。全部言葉にして説明してしまうの、やぼやぼじゃんってツッコまれないかしら。これを形にすること、それを私だけにとどめておかないこと、全てに疑問を感じる。

 

全部、私の話だけど、あなたを想っているようで、きっと全部私の話になっちゃうんだけど、それも全然いい感じにやれないんだけど、それでも

会いに行くね。