もぬけるから

旧い私の記録

日門

あー、やっと文章を書きたいような気分だ。

毎日書く!と決めて、毎日は書けなかった。それで、三日坊主にはなりたくないと思って、3日のうちには文章をなにかしら書こうと思って続けてきた。けど、ちょっと途切れてしまった。

 

深夜バス。

11時に最寄駅を出て、バスタ新宿、12時45分発の名古屋行きのに乗った。これから岐阜県美濃加茂市にゆくのだ。

1時を過ぎるころ、バスの中の照明が落ち。

今は各席の天井に1つずつある橙色のランプと、足元のコンセントの青い光。そして遠くに時刻を示す緑色の数字。1:21。

カーテンの隙間から、橙の街灯がちらちら通り過ぎてゆく。

 

さっき睡眠薬を飲んだ。

毎日のんでるわけではないのだけど、深夜バスは寝なさいという圧が強いので。昨日3時くらいに寝たから正直眠いというわけではない。身体を眠りに誘ってくれるように、白い玉を飲み込む。

だからこれからの文章は私の身体と意識のちょっとした闘いの記録になるはず。なってほしい。このままだと意識の圧勝になってしまう。どーにか寝落ちたい。

 

バスが用意してくれてる毛布と小さな座布団を使って身体には休んでいーよーって言ってるけど、身体は別にいいみたい。

 

暗闇。バスの電気が消えるとき、ちょっとわくわくした。暗闇ってテンションがあがるらしい。電気が消える瞬間ってなにかでよく知ってるなって思ったら、演劇のことだった。公演が始まるとき、大抵のお芝居では音楽のボリュームがあがり、照明は消える。暗転。

そんな瞬間をバスの消灯に思ったのかもしれない。何かが始まるな、って。

 

深夜に眠る人たちを運ぶバス。どこを走っても中の人には外の景色がわからない。

昔家族で行ったかもしれない、バス型のお化け屋敷はヘッドホンから怖い音声が流れるんだっけな、それみたい。くらーいバス、不気味で、カーテンは全部閉まってて、誰一人喋らなくて、スマホも使わないようにアナウンスされて、不思議な空間。お化け屋敷の内容はよく覚えてないのに、怖かったことだけは記憶してる。暗さへの恐怖。

 

中学生の時、小劇場に友達と行った時に、公演が始まる前の闇に、怖いと呟いた。相手はかわいいねなんて笑ってたけど、確かにその時、舞台と客席を包む暗闇を恐れていた、少しだけ。今はもう慣れっこで、客席に座っている私が何か危険に晒されることはないと、暗転してても知っている。

むしろ、舞台上の蓄光テープをガン見したりする。蓄光テープって、役者が暗転中に決まった場所に行くための暗闇に光るマークのことなんだけど、ときどき客席からも見つけることができるのよね。

 

役者にとって暗転はかなり恐怖だと思う。私は。大学生になって初めて出た新人公演では、暗転の中、ちょっと危ないし、ぶつかったら音の出るセットの横を一人で通って舞台中央にいなければいけないシーンがあった。それも物語の序盤、一番緊張するようなところで。暗転は長い時間取ることはできないので、何度も照明さんと秒数を合わせる。お客さんには急に現れた!と思ってもらわなきゃならない。

暗転して、セットの横をそろそろと音を立てぬよう、しかし間に合うように歩いた。明かりがついた状態ではなにも怖いことはないのに、光がなくなっただけでこうも変わるか。道幅はどのくらい?どこまで歩くの?全てわからない。

暗闇で、真っ暗で、蓄光テープの薄い黄色の光だけが、頼りだった。私を定位置に導いてくれるのは小さなテープだけだった。どれだけ心細かったことか。目は開いているのに、まるで閉じてるかのような世界。なにも見えない。

 

ダイアログ・イン・ザ・ダークというワークショップが去年あった。私は参加していないのだけど、暗闇の中を視覚障害の方に案内してもらいながらいくつかの体験をするらしい。

私は別のダイアログ・イン・サイレンスに参加した。ヘッドホンをして無音世界の中、聴覚障害の方と手振り身振りや表情を使い、言葉なしでの交流をするのだ。

ワークショップ内で接した聴覚障害の方は表情豊か、手振りもわかりやすかった。役者として学びたいなーと思った。

それから、聞いた話によると、イン・ザ・ダークの方では暗闇の中を視覚障害の方はすいすい歩いて行くのだという。すごいよね。

暗闇の中では目の見えない人にきっと頼りっぱなしなんだろうな、私。

 

 

暗闇のバス中に定位置を表す蓄光テープがぽっぽっと灯っている。青、橙、緑。

これから朝になったらカーテンが全部開いて、陽の光が入って、電気がつくのかな。

何かが始まる予感はずっとある。

この夜行バスはこの旅公演のはじまりの乗り物であり、おそらくおわりの乗り物になるだろう。

野外公演で暗転とかないから、夜行バスが暗転の代わりかな。

お芝居がちゃんとはじまって、おわることのできますように。

f:id:orangengine:20180911080024j:plain

 

ついばむ

受動的に楽しめるもの、特に人の文章がないと死んでしまいそうな夜。

青い鳥の行く末を追っても、知らぬ人の知らぬ話ばかり。

攻撃や言い争いや嫌なことする人、意地悪、非難。きちんと航路をわきまえなければ、醜いものにぶつかって翼は折れる。

 

友達のおなかすいた、が遠い国から聞こえるような、そんな空はないの。

なにもためにならなくていいから、些細な日常を、あなたの言葉で放ってくれればそれで息をしてゆく。

わたぐものように。淡くて、甘い機微。あるいは今日のできごと。

世界中で風船が飛んでゆくから、針のある言葉はやめてね、そっとしましょ。

はらぺこどくむし

読みたい。

読みたすぎる。

 

あなたの文章が読みたすぎる。

 

ある時、というかだいたいいつもそう。

LINEはできないくせに、Twitterは見れる。

発信ややりとりはできないくせに、受信はできる。

 

気だるくお布団に潜りながら、黙々とスマホだけ動かして、虚無。

 

 

あなたの書く文章が読みたい。ひもじい。

なんでもいい、内容がなくても、整ってなくても、あなたの考えること、感じたこと、なんでもいい。

  

ある先輩の文章をおかゆだと思ったことがあった。

優しく柔らかく、白くて、食べやすくて吸収しやすい。

けれど思えば大体の好きな人たちの文章はおかゆみたいなものだった。

何もしたくない日でも人の文章は読みたいんだよ。何も食べなくても、好きな人たちの文章だけで生きていけるような気がしてしまうの。

牢獄に閉じ込められても、毎日好きな人たちの文章がご飯がわりに出ればいい。試しにやってみます?

……ごめん、やっぱご飯もほしいです。

 

でも、もらってばっかりじゃだめだよね。いつまでも人に頼ってることになっちゃう。

流動食だけじゃなくて、歯ごたえあるものも食べたほうがいいし、そもそも自炊しなきゃ。

自分で炊飯器を持てば、おかゆも、おこわも、なんだってつくり放題なのに。

いっぱい作れば、もしかしたら隣のあなたにおすそ分けできるかもしれないし。食べれる代物かわかんないけどさ。

ひもじいけど、食糧は貴重なので、何日にも分けて食べたこともある。炊きたてで一時間も経ってないようなほやほやの文章に気づいて、小躍り。でも一気にかきこまず、5日間くらいに分けて食べた。最後の方はもはや干し飯だった。けど美味しかったよ。あ、干し飯っていったら教科書に載ってた「ちいちゃんのかげおくり」を思い出すな。まさしく私も戦時中のようなものなのだ。

 

 

友達の文章が読みたすぎて、お腹が空いて、困り果てた。

から、図書館に走った。書店に駆けてった。

本を手当たり次第借りて、買って、読みふける。その人の文体と似てる作家に出会ってちょっとまどろむ。

 

活字の海に身を投げて、あなたの味を忘れようとした。

 

でも、陸に上がった時に思い出すのはその人の文章で。

遠くの、知らない大先生より、私はあなたの文章が読みたいんです。

わがままです。

 

 

愛読者の督促状(リマインダー)って、なんかコナンの映画タイトルみたい。つまんなそう。なんか封筒に爆弾仕込んでそう。愛しい原稿用紙が爆破で吹っ飛び灰になる。ちゅどーーん!

ああ、そんなことはよしてください。もったいない。

犯人もさ、どんな恨みつらみがあるとはいえ、文章は悪くない。だからさ、爆破する前にちょっとその原稿渡してちょうだい、ね?

 

ネクストコナーンズヒント!「深夜テンション」

はい!今日の放送はここまで!

 

 

 

・・・・・・つまりは、あれだよ。いろいろ読ませていただき日々感謝してます。おかげさまで美味な文章ばかり食べているので私はグルメになれそうです。お体に気をつけて、これからも文章を綴っていただけたら幸いです。

え、自炊ですか?この有様ですよ。

フリーダンス

あぁ、いつのまに。

毎日外出とか稽古があると、振り返る時間が気づかぬままなくなっていくな。

 

稽古で演技のことを考え、原作小説を読み、フライヤーをつくる。

あっという間だなあ。

台詞も覚えなきゃだ。

うーん、充実だ。

身体がくたくたになるのは、楽しい。

受験期は身体を動かすと勉強中眠くなるからセーブしてたけど、めいっぱい動かせるのってやっぱ幸せなことだ。

欲張りなリュックも、真面目なブレザーも、気難しいスカートもいない。

身体に合わせてくれるものだけ身につけていたいや。

 

この前の稽古で、身体の重心が前になっていると教えてもらった。たぶんリュックのせいだなーとわかる。もはや身体の一部だもんな、重いリュック。私の甲羅。

もう何年間背中に居続けているんだろ。

 

あー全部脱いで外して、自由に動きたい。

風船

演劇が楽しくって楽しくって……!

今日で稽古4日目だったんだけど、めっちゃ楽しい。

主宰の方が優しいのもある。優しいというか、気づきが細かい?丁寧に見てくださる。

評価を基本恐れている自分だけど、この人の評価なら教えて頂きたいと思う。

 

9月6日、あと1ヶ月もないけれど、願ってもみなかった大隈講堂の舞台に立てるのが楽しみで仕方ない。

4日目なのに、わかる。

このお芝居はきっと面白い。

平日なのがネックだけど、私を知っている人みんな観てくれたらいいのに。確実に、私、変われそう。今までの関わった演劇の中で一番、大きく変われそう。というかもう変わっているし。どんどん稽古を重ねたら、どんな風になっているだろう……!期待膨らんじゃうなあ。

 

あー!観てほしくて観てほしくてたまらない!!

絶対に、なんて言葉、物事断定するの怖いから、使いたくないけど、でも絶対に面白いだろうなって言い切れる自信がある。今までの短い稽古時間だけで確信している。絶対ぜーったい面白い。

 

今まで関わってきた公演と違って、予約とかないから、たくさん呼んでとも言われないし、多分全然宣伝しなくたって、私から知ったお客さん0人だって、主宰はきっと困らない。お客さんの数は私に直接的ななにかを与えるわけじゃない。

だけど!確実に私の知っている人が誰も来なかったら、悔しいというか、残念というか、もったいない!こんな面白いのを観れなかったなんて!って気持ちになると思う。演者も楽しいけど、観客としてだって観れるなら観たいもん、この芝居。

稽古4日目でこう思っちゃうのはあまりにも大口を叩いてるかな、ハードル上げすぎかな……でも、それくらいめっちゃ面白いんだよ。

宣伝に熱が入っちゃうなこれは。

今までの演劇経験の中で一番楽しく、刺激的なんじゃないかな。

 

あーーわくわくが膨らむよ〜〜

commusication

東京に戻った。

寮の自分の部屋は、静かで、1人だ。

 

スマホのイヤホンを東京の部屋に置いていったことにさっき気づいた。バックに入れ忘れてたや。

東京では毎日のようにイヤホンして音楽聴いてたのに、北海道では使わなかったんだな。探しもしてなかった。

 

帰省した1週間。振り返れば、音楽を聴こうと思わず過ごしてた。

車に乗れるってことは誰かが運転してるってことだものね。

しかも家にいる間は家族がいるし。

空港まで友達が見送りもしてくれたし。

電車も風景を見たがったもんなあ。

外に出ればいつも聞けない鳴き声や音にあふれていて。

いつも誰かが近くにいたな。

 

誰かが一緒にいてくれたから、耳を塞ぐ必要がなかったんだ。音楽のなかに入っていくことも、声を出して歌うこともなかったんだな。

 

そんなことに気づかぬまま、帰ってすぐにサンボマスターを流してた。

1人の部屋では熱い歌声が響かないと静けさに押しつぶされるのかしら。

 

いつのまにか、無音に耐えられなくなっている自分がいる。

あたらしさとふるさと

北海道はみんな暑い暑いって言ってるけど涼しくて過ごしやすい。

去年はこんなに新鮮じゃなかったのに、何もかもが新しい。学年が新しくなっただけでこんなになるもん?freshmanじゃないのにな。

 

玄関を開けて感じる土の匂い。何気に一番心にくるかもな。

出かける前に庭をちょっと歩いてとんぼを捕まえようとしたり、作物の様子を見たり。

 

高校までに散々見てきた田んぼも懐かしくてたまらない。そもそも車移動がこの前の帰省ぶり。安心して眠れるの楽だな。

 

少し口やかましい親も優しいお兄ちゃんも少しずつ昔のままではいられない。

お兄ちゃんに暴言多分もう吐けないし吐かない。

 

高校や予備校はぱっと見あんまり変わってないけど、じわじわと誰かがいなくなっていたりして、知らない間に時が流れてると知る。

 

母校の前には知らない店ばかりが並んでいる。目の前にアイス屋さんなんかできちゃって、今の子たちはきっとこぞって集まるんだろな。

 

家は照明が変わったり天井が変わったりと、ちょこちょこ違う。

私のカラーボックス5個分くらいの絵本が全部紐でくくられてたのは結構悲しかった。

図書館から借りた本を布団の上に置いて、気ままに本を読む午後の時間はもう来ないんだな。

寝っ転がった私をカーテンを通した優しい陽の光がうたたねさせることは記憶のなかでおしまいか。

こうやってどんどん私のいた記憶が家から消えていくんだなあ。

高校の壁にある卒業生の名前の落書きとか、机に名前彫ったりしてた人の気持ちがほんの少しわかるかも。自分がいたことを残しておきたい気持ち。

この家のなかの私の跡はどれが一番最後まで消えないかしら。

 

変わっていくもののなかで変わらないものに安心して、今の話じゃなくて昔話をしてる。

私の体も心も、周りの人、ものも変わっていくのにな。

自分はどんどん変わりたいけど、周りのものは私が知っているままでいてほしいなんてね。

 

明日高校の部活の人に会うけど、「変わったね」って言われるかな。それとも「変わらないね」かな。

どっちであれちょっと複雑な気持ちになる、きっと。変わった自分は受け入れてもらえるかな、変わらない私は楽しませれるだろうか。

 

私はみんなに会って、なんて言おう。