もぬけるから

旧い私の記録

ここに書くことは、読んでくれるかもしれない人をすごく意識している。できるだけ、わかりやすく。どんな風に読まれるかを考えて、より私の書きたいことにぴったりくるように、どんどん変えていく。

 

去年の夏、役者として鍛えてもらってる時、私はある問題に頭をぶつけた。

「あなたは周りからどう見られてるか、意識ができてない」

「自分のやりたいことより、お客さんに綺麗に見えるようにした方がいい」

ものすごくごもっともで、的確に自分に足りないものの指摘だった。

鍛えるためのメニューではフリーダンスっていう、曲に合わせて即興で踊るのが一番好きだった。聴いて、歌詞をその場で判断して、体を動かす。それが楽しいのだ。しかも、フリーダンスはフリに正解がなくて、体のコントロールが苦手な私でも明確に間違うことがないから。

「あなたは独自の世界観で踊ってるけれど、それをお客さんと共有できてない。ああ、なんか閉じこもってやってるな、って感じに見える」

好きでも、やるたびそんな評価だった。

 

夏が過ぎて、秋の公演も終わって、春までやってきた。そんなときに、

「あなたはとってもわかりやすいけど、本当のところはわからないね。逆にそこがいいけど。ミステリアスで」

なんてことを共に一夏を過ごした共演者に言われた。

なんだか、結局私はわかられないのかと、思った。

その人は私を褒めてくださったけど、なんだか、さみしかった。胸に刺さった。

私はわかりやすい人間だろうと自覚していた。だけれど、わからないと言われる。

まあ、わかりやすいね、なんて言われても、それはそれでもやっとしたのかもしれないけれど。

その友達がわからないね、というのも、どこか納得できていた。その人には見せていない姿がいっぱいある。知らない顔がきっと存在する。その部分を突かれているのではないか、と思う。だとしたら、わからないのは当たり前だよね……だからと言ってそう簡単に見せれるわけではないけど。

 

私は、わかってもらいたいのかな。どうなんだろう。

少なくとも、何か思い切って心に秘めていたことを話す時、相手にわかるわかる、と返されると、すごく嬉しい。言い方とかもあるだろうけど、わかるよ、って言ってもらうと、とてもほっとする。

 

とりあえず、わからないと思っているかもしれない方々に、私の考えていることを伝えたいと思います。まだまだわかりにくいままのサイトを通して。

わからなくても、わかっても、仲良くしてね。